「生かされている」ということ [ちょっと考える事]
少し前にチャット仲間のblogに書いてあったことですが、長くなりそうなので自分のとこに
書きます(随分と遅い?f^_^;)。
「生かされている」ということ
「生かされている」なあ、と思うことはわりとあります。この人のために生きているんだ、
という思いがしっかりと意識にのぼっているわけではないのですが。
何回か死が目の前を通り過ぎる度、「あ、私のやるべき仕事はまだあるんだな」と思います。
(学生時代、いつもなら特急に乗って帰るのに、その日(それも卒業式の日)に限って友人に
「普通で帰ろう」と言われて一緒に帰ったら、乗る予定にしていた電車が立ち往生していた
軽トラックとぶつかって、積み荷のブロックが電車に乗るといつも私が立っているドアの側の
窓を直撃していたとか。
信号が変わったらすぐに横断歩道を渡っていたのに、たまたまひと呼吸おくことがあった為、
信号無視した車が目の前を通り過ぎたことが何回となくあった、等々…f^_^;。)
人が好きな筈なのに人と距離を置いていたい、なーんて両極端な思考が私の中で同居して
いるので、振り子が端から端へ大きく動く度疲れるんでしょうね(-.-;)。
その人がいるから自分がいる‥。天邪鬼だから、あえて表層意識からはずしているのかな。
何だか、ちょっと損した気分になってます(今更)。
吹原和彦みたいな思いの生き方は多分できないでしょうが、その時の為に動けるように
準備をしていたい、と思います。
(久々に長文…それも乱文調(謝))
“吹原和彦のような生き方”かぁ…。
去年の終わり近くまで、自分にも“吹原和彦のような生き方”ができるのかな、と思っていました。それも、原作のほうの吹原和彦の生き方のほう。
幼馴染でもない、親しい友だちや恋人でもない、ただ1年近く想い続けて通い詰めただけの憧れの人…、そんな人に自分が何ができるのだろうか… とそんなことをずっと考えていました。
そんな自分が、自分自身を見つめなおし、生き方を少しだけ変えてみようと思ったのは、ちょうど去年の大晦日も迫ったある日のことでした。その日以来、私は憧れの人への想いについてもう一度考え直してみることにしました。そして、憧れのその子よりもしっかりと自分のことを見つめ続けてくれていた人のことをもっとしっかり見ていこうと思い直したのでした。まだ答えは出ていないけれど、きっと良いほうに向かうのだと今は信じています。方針転換していなかったらきっと今頃気分はどん底だったと想うし。
え? 何のことかって? 今はまだ言えないなぁ~♪(笑い)
by くまきち (2006-04-02 01:53)
「人が好きな筈なのに人と距離を置いていたい、なーんて両極端な思考」・・・私にもあります。
でもそんな時はわりと投げやりで、他のこともおろそかにしがちになっちゃうんです (^^ゞ
結局、何をしたかったのかわからなくなって後悔したり(笑)
私には吹原和彦みたいな生き方は絶対できないでしょう。
でも、今の私がいなくなって困る人も確かに実在するので(と、信じて)その人達に報いるためにも、せめて日々を楽しく過ごそうと心がけてます♪
気持ちだけでも続けてるとそのうち「能天気」になっちゃうからお気をつけあそばせ(笑)
by (2006-04-02 14:40)
自分自身を見つめなおし、生き方を変えてみてください、くまきちさん。
ついでに周囲を見渡してみると、何かが見えるかもしれませんよ(?)。
tazさん、私は既にのー天気です(笑)。
…といいつつ、沈んでいたりもします。
「日々是平安」「日々是楽日」、でいきたいですね♪
by にし (2006-04-02 19:31)
> 自分自身を見つめなおし、生き方を変えてみてください、くまきちさん。
もうとっくに変わりましたよ~(謎)。少なくとも2月の段階ではすでに方針転換を完了しています :)
by くまきち (2006-04-02 21:22)
視点を変えてみないと、変わったかどうかわかりませんよ、くまきちさん。
それと、他人の目と、ね。
by にし (2006-04-03 00:41)